わたさきの徒然日記

徒然なるままに日暮スマホに向かいて

10年

今日で東日本大震災から10年。

10年前のあの日、私は母と一緒に武道館にいました。
夕方からのライブの開場待ちで、武道館にあるカフェでのんびりご飯を食べていました。
会場内からはリハの音が時々漏れ聞こえていて、武道館の前にもグッツの列がズラリ。
みんなこれからの楽しい時間に思いを馳せ、楽しそうでした。


そして14時46分。
突然の大きな揺れ。


普通の地震の揺れじゃなかった。
今まで体験したことのない大きな揺れ。
お店の外に!と誰かの声がして、訳も分からないまま外に出ました。
階段を駆け降りる足は震えていて、心臓もバクバク。
武道館前には同じようにお店から出てきた人や、元から外にいた人でごった返していました。
そんな中で震源地が東日本だと知り、親戚が福島に多いことから母が横で色んな所に連絡をしていました。


ライブはもちろん中止。
近隣の駅へ向かっても勿論どの路線も動いておらず、また別の駅へ別の駅へと渡り歩きました。
その道中にあった個人経営の自転車屋さんや公衆電話の前には長蛇の列。

どの駅前もそして街中も人がごった返し、お店の前では「臨時休業とさせていただきます」と叫ぶ店員さん。
携帯の充電も切れ、途方に暮れていました。



そんな状況でも、沢山の人の優しさに触れました。



伝言ゲームみたいに、電車が動いていないこと、運転再開の目処がたっていないこと、行くあてのない人はホームで休ませてもらえる事が、中に入らなくても伝わってきました。


公衆電話では、誰かが置いていってくれたテレホンカードが小銭のない人の手から手へ渡り、公衆電話の使い方がよくわかっていない若い人には後ろに並んでいたおじさんが教えてあげてました。


携帯の充電がしたくてauショップに立ち寄りましたが断られ、ダメ元でゲーセンでコンセントをお借り出来ないかと訪ねたら、布の被っていた故障中のゲーム機の裏のコンセントを貸してくださり、他の人にも呼びかけて、臨時の充電場所としてくれました。


なんとか連絡がとれたことで、夜遅くに父が車で迎えにきてくれ、渋滞する道路を何時間もかけてなんとか帰宅しました。



あれから10年。
今でも緊急地震速報の音も、ポポポポーンのCMも、今でもまだゾクっとします。

忘れられない日。
でも、正直覚えていないこともあるんです。
地震のあったあの瞬間、携帯から速報が鳴ったのか。
津波の状況をいつ知ったのか。
親戚の安否がわかったのがいつか。



全部を全部、しっかり事細かく覚えていなきゃいけない訳ではないと思うけど、思い出せなくなっていることにビックリしました。
こうやって忘れていくのかとショックでもありました。

忘れてしまう事もあるかもしれない。
でも、それと同じように絶対に忘れられない光景が、音が、身体の震えがある。
覚えていることをしっかりと噛み締めて、これからも過ごしたいと思います。

心からお祈りいたします。





『普通の日常』が当たり前じゃなかったと震災で、そして今はコロナで痛感しました。
今、生きている事が凄い。
精一杯生きたいです。